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ハワイアンキルトをあなたと

バイリンガルとして

Play offsまで進んだ末娘のサッカーは、一戦目で負けてしまいましたが、幼稚園から続けていたスポーツの区切りを迎えました。
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ハイスクールで行われた表彰式。
全力で戦うティーンエイジャーから沢山の感動を頂き、感謝の気持ちで一杯です。

3人の子供達には、小さい時から出来る限りの可能性の機会を与えて来ました。
叶えてあがられなかったのは、長女のフィギアスケートと次女のバスケットボールです。

長女のフィギアスケートは、アメリカ生活もまだ浅く、末娘も小さく、送迎や練習にかかりっきりになる生活に飛び込む勇気がありませんでした。

末娘のバスケットボールは、練習が土曜の午前だったので無理でした。

学校の勉強に関して、勉強しなさい!と言った事は皆無に近い母ですが、
”変な日本語を話す日本人には、したくない”という想いが強く、当時の私は、日本語学校へ通わせる事が絶対でした。

幼稚部から日本語学校へ通っていた末娘が小学校2〜3年の頃に、泣きながら訴えました。
自分は、皆の様に土曜午前はスポーツも、バースデーパーティーへの参加も、金曜のスリープオーバーも出来ないと。

その時、何となく子供達はアメリカで生きて行くんじゃないかな、と見え始めていたので、自分の価値観を少しづつ変えてみようとしました。

日本語の読み書きが完璧でなくとも、話す事さえ出来たらいいかなと思い直し、アメリカ生活を優先させる事にシフトしていきました。

それでも尚、試合の合間やたとえ30分しか日本語学校へ出席出来なくても、送り迎えの往復をしていました。
当時は、3人通っていたので、3人分の予定をほとんど私一人で切り抜け、ヘルパーをこなす事でフル稼働でした。

その甲斐があったのか、本人達の努力かはわかりませんが、3人共アクセントが全くない普通の日本語を話します。

こちらで生まれた末娘にとって、それは決して短い道のりではありませんでした。

これは、私が勝手に決めた揺るぎない信念でしたが、自分たちの子供も絶対日本語が話せる様にする、と言われた時は嬉しかったです。
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by hana-as426 | 2014-11-12 01:05 | ボストン | Comments(0)

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